旧棒坂の上り口から頂上までの約23メートルの間は、旧大多喜街道の昔の姿をよくとどめている。当時棒坂は、近辺の小土呂坂・針ケ谷坂と共に三大難所のひとつと言われていた。残された街道の中には、難所を語る六面六地蔵や、道祖神・馬頭観音などが祭られている。上り詰めた頂上には、峠の茶屋が道をはさんで、左に一軒、右に二軒あって、明治の中頃まで栄えた。現在その跡は山林と畑になっている。 56図





長南町は浜野から大多喜を通り、勝浦に抜ける房総中往環の宿場として発達した。
物資の交換地として、また日蓮の聖地小湊や清澄山板東32番札所清水寺へ向かう信仰の道として大勢の人が行き交ったことを、この道標は物語っている。
23図


庚申塔は、庚申の日夜人間が寝ている間に体内の三尸が天帝に悪事を告げにいくという、道教起源の民間信仰から、その日は人々が集まって飲食して世を明かすという庚申待ちの講が立てたものと考えられる。寛文7年とあり、庚申信仰初期のもの。光背型の石で、見ざる・言わざる・聞かざるの三猿が浮き彫りにされている。 16図上